エジプトの神秘3:アトランティスの秘儀と人類の進化

古代のイニシエーションセンターと、現代の教育機関との違い

古代のイニシエーションセンターは、単なる知識の伝達に留まらず、人間の意識と肉体の変容を目的とした機関でした。現代の教育が主に知的な発達を重視するのに対し、古代のセンターでは、瞑想や特定の思考形態への没入を通じて、霊的器官の発達を促し、身体そのものに影響を与えることを目指しました。例えば、アトランティス時代のイニシエーションでは、弟子は人類の普遍的な理想像を思考形態として瞑想し、そのイメージの力によって自身の肉体を変化させ、現代人に近い形態へと進化させることができました。これは、思考や感情が肉体に直接的な影響を及ぼす力が現在よりもはるかに強かった当時の状況が可能にしたものです。

アトランティス以前の時代と、その後の古代文化との関連

アトランティス以前の地球の進化状態は、その後の古代文化の哲学的・宗教的概念に神秘的な形で反映されていました。具体的には、太陽、月、地球が一体であった最初の状態は、ヴェーダ以前の古代インド文化の概念に鏡像のように映し出されていました。地球と月が一体で太陽が分離した第二の状態は、古代ペルシャのオルムズドとアーリマンの対立という形で現れました。地球、太陽、月がそれぞれ分離した第三の状態は、エジプト・バビロニア・アッシリア文化のオシリス、イシス、ホルスの三位一体に精神的な反映を見出すことができます。これらの古代文化は、アトランティス時代に存在した、神々や霊的存在を千里眼で知覚できた人々の後継者や、アトランティス文化の遺産を受け継ぎ発展させたものでした。

アトランティスの人間の意識と現代の人間の意識の違い

アトランティス人は、現代人とは全く異なる意識状態を持っていました。彼らは昼間だけでなく夜間も霊的存在を知覚でき、神々を直接の伴侶としていました。現代人が鉱物の存在を疑わないように、彼らは神々の存在を証明する必要がありませんでした。また、昼間の意識においても、彼らは外界の物体を「魂が宿っている」ものとして認識していました。例えば、池に近づくと、その水を「味わう」ような感覚を持ち、その水の「内なる性質」を感じ取ることができました。彼らにとって、空気、土、水、火のすべてに魂が宿っており、物体は魂のない単なる物質ではなく、内なる本質を持つ存在として経験されました。これは、現代の知覚が主に物理的な表面に限定されるのとは対照的です。

アトランティス時代の人間と、現代の人間の肉体の違い

アトランティス時代の人間の肉体は、現代人とは大きく異なっていました。その肉体は今日よりもはるかに柔らかく、まだ骨も形成されていませんでした(軟骨は一部に存在した)。外見的には、ある種の海生動物に例えられるような、透明でほとんど見えないが、特定の方向に光る糸が織り込まれたものでした。肉体の構成要素としてエーテル体が非常に重要であり、個人のエーテル体は牛、ライオン、鷲、人間という四つのタイプに分類できるほど巨大でした。アストラル体は強力でしたが未発達で、自我は人間の外側にありました。イニシエートだけが、瞑想を通じて肉体を現代人に近い形態へと変容させることができました。

古代の人々が「アニミズム」として語られることについての、シュタイナーの見解

シュタイナーは、学者が古代の人々がアニミズムを信じ、物に魂を吹き込むのは「民間の想像力」であると主張することを「恐ろしい愚行」だと強く批判しています。彼は、古代の人々が物に魂が宿ると考えたのは、彼らが実際にそう知覚していたからだと主張します。彼らにとって、鉱物、植物、水、雲、風の中に精霊が宿るというのは、詩的な表現や単なる空想ではなく、彼らが実際に「目に見えた」現実でした。著者は、夢を見ているのは学者たちであり、古代の人々は見たものを報告していたに過ぎないと述べています。

後期アトランティス時代に、人類の意識に起こった変化

後期アトランティス時代には、人類の意識に大きな変化が起こり始めました。一部の人々は高度な千里眼の能力を保持していましたが、他の人々、特に「最も進歩していた」とされる人々は、この古代的な透視能力を徐々に失い、代わりに世界を物理的に知覚し、現代の昼間の意識に近づいていきました。彼らは夜間に霊的世界を見ることをやめ、目覚めている間に物体をより鮮明な輪郭で見るようになりました。マヌに導かれた最も進んだ人々は、この変化を促進するために内陸アジアへと移動し、他の民族との接触を一時的に避けることで、新しいタイプの人間へと成長することができました。この変化は、人間が霊的世界との直接的な繋がりを失い、物質世界をより明確に認識するようになる過程でした。

アトランティスの大災害が、その後の文化に与えた影響

アトランティスの大災害は地球の様相を変え、古いアトランティス文化の多くを破壊しましたが、そのすべてが失われたわけではありませんでした。むしろ、残された要素は徐々に新しい時代へと引き継がれ、その後の古代文化の基盤となりました。大災害後、マヌに率いられた人々はアジア奥地へと移動し、そこから古代インド、ペルシャ、エジプトなどの新しい文化が育まれました。これらの文化は、アトランティス時代の霊的知覚の記憶や概念を、それぞれの時代や民族の進化段階に応じて取り入れ、独自の哲学的・宗教的体系を発展させました。例えば、古代インドのブラフマンの概念は、アトランティス時代のイニシエーションで瞑想された人類の普遍的な理想像が再び生き返ったものだとされています。

古代の秘儀参入者(マヌ)が、弟子を導いた方法と、形成した文化

古代の秘儀参入者(マヌとして知られる)は、現代の教師とは大きく異なる方法で弟子を導きました。彼らは、弟子を一般の人々から選抜し、肉体と精神の変容を目的とした特別な訓練を施しました。秘儀参入者は、自身の思考や感情を高度に制御する力を持っており、その力を使って、弟子の魂の前に「思考形態」としての人間の普遍的な理想像を提示しました。弟子たちは、このイメージについて瞑想し、その理想像を自身の肉体の目標とすることで、物理的な変容を遂げました。このプロセスは、弟子自身が考えるというよりも、暗示によって思考が魂に植え付けられるようなものでした。このようにして、彼らは新しいタイプの人間を育成し、そこから様々な文化が流れ出す中心地を形成しました。彼らは、自らの意見を押し付けるのではなく、先住民のニーズを考慮したバランスの取れた状態で文化を育んだとされています。