エジプトの謎9:人類意識の進化と文化の変遷・太陽と月の精霊・物質世界の征服

人類の進化における意識と知覚の変化

人類は初期の進化段階では、太陽と月の精霊であるオシリスとイシスの影響下で肉体が形成され、松果体を通じて透視的な知覚を持っていました。当時は物理的な目はなく、意識は夢のような透視的・アストラル的性質を持つものでした。下半身が形成された後、腰の部分が発達するにつれて物理的な視覚が発達し始めましたが、当初は霧の中にいるかのようにぼんやりとしか見えませんでした。その後、目覚めと睡眠が交互に訪れる意識状態へと移行し、目覚めている時には物質界を漠然と捉え、睡眠時には霊的世界と交流していました。この透視能力は次第に衰えましたが、昼間の意識、すなわち対象意識が明確になり、自己意識が強化されていきました。

古代レムリア時代の人々の死生観

古代レムリア時代、月が地球を離れる前後の人々は、今日私たちが「死」と呼ぶものを全く感じていませんでした。なぜなら、肉体を離れても意識が衰えることはなく、むしろ肉体にいる時よりも高次の、より霊的な意識を受け取っていたからです。彼らは自分自身を神の胎内で不滅であると感じており、「私は今死につつある」とか「無意識に陥りつつある」といった感覚は存在しませんでした。彼らは夜の間、アストラル体が肉体を離れる際にオシリスの力が流れ込み、自身を強化しているのを感じ、オシリスと一体であるという感覚を持っていました。

アトランティス時代以降の初期の文化(インド、ペルシャ、エジプト)が物質界に対してもっていた異なる態度

アトランティスの大災害後の最初の文化である古代インドでは、人々は物質界を「マーヤ(幻想)」と見なし、真の故郷である精神世界からの移植であると感じていました。彼らは物質界から逃れることを強く望み、感覚的なものは非現実であり、その背後にある霊的なものが真実であると考えていました。

ペルシャ文化では状況が異なり、物質界を単なる重荷ではなく、果たすべき「課題」と捉えました。彼らは善の神アフラ・マズダオと悪の神アーリマンの対立の中で、物質界をアーリマンがもたらしたものと認識し、これを善のために変容させることを目指しました。彼らは地球を救済し、善なる惑星に変える第一歩を踏み出しました。

エジプト・バビロニア・アッシリア・カルデア文化(第三文化期)では、物質界に対する古代の嫌悪感はほとんどなくなり、物質界を正しく尊重するようになりました。カルデア人は星々の光を神々が物質界に刻んだ「文字」とみなし、エジプト人は幾何学や数学を通じて物質界の法則を信頼し、ピラミッドや寺院、スフィンクスといった建造物によって物質を支配する力を示しました。物質界は彼らにとって意味を持つものとなったのです。

古代の秘儀参入のプロセスが各文化期で果たした進化

古代インドでは、聖なるリシの弟子たちは、人類がまだ透視能力を持っていたレムリアやアトランティスの出来事を学ぶために教師を必要としました。秘儀参入者は、自分自身がかつて「 薄暗い透視意識」の中で見ることができた霊界を、儀式を通じて恣意的に再び見るように導かれました。

カルデア人やエジプト人にとっても同様に、教師は弟子が透視能力を通じて物質界の背後にある霊界を見る能力を発達させるのを助けました。彼らは物質界の背後にあるものを弟子たちに示しました。しかし、エジプトではさらに一歩進み、秘儀参入者は神々を見るだけでなく、神々が星の文字を書く際にどのように手を動かしたのか、つまり物質界全体がどのように進化してきたのかをも学ぶ必要がありました。偉大な創始者であるヘルメス・トリスメギストスは、物質界全体を神々の筆跡として初めて人類に示し、霊的な行為とそれが物理的に対応する具体的な例を教えました。

ギリシャの神殿とゴシック様式の大聖堂の建築と思想における対照 性

ギリシャ神殿は、それ自体が完全な存在であり、神々が実際に宿る「神の家」として建設されました。空間に対する芸術的な感覚を持ち、柱などが生命の力に満ちた空間を物質化したものと捉えられました。ギリシャの芸術家は、透視能力を持つかのように柱を見て、それを物質で満たしたと表現されています。神殿は礼拝者がいなくても独立して存在し、神がそこに宿っているため、魂がなく空っぽだとは感じられませんでした。神々はこれらの神殿に肉体、つまり物質的な住処を見出しました。

一方、ゴシック様式の大聖堂は、内部に礼拝者がいなければ「半分しか完成していない」とされます。大聖堂のあらゆる形態や装飾は、信者たちの祈りが流れ込むことで初めてその意味を持ちます。信者たちの祈りがなければ、神や霊的存在は大聖堂に近づくことができません。大聖堂は、敬虔な信者たちが集まり、祈りを捧げることによって、神聖なものに満たされる「信者の家」なのです。これは「ドム(dom)」という言葉が集合的な意味を持つことにも現れています。

ギリシャ文化とローマ文化における「個性」と「人間」の概念

ギリシャ人は、芸術作品の中に霊的な魂を体現する能力を持っていましたが、それでもなお自分を全体、すなわち「ポリス(都市国家)」の一部であると感じていました。彼らは自分を独立した「人格」として感じることはなく、スパルタ人やアテネ人であることに最大の誇りを感じていました。

ローマ人の時代になって初めて、人間は「人格」そのものが何かであり得るという感覚を抱きました。彼らは「市民」の概念を生み出し、法学(法律の学問)を発明しました。個人の意思が強力になり、遺言状の発明に見られるように、死後も自身の財産や所有物の扱いを決定できるようになりました。ローマ文化において、人間は自身の個性において精神的なものを物質界にまで引き下げ、これが進化の「最低点」と見なされています。

ローマ文化における「個性」の発展が「進化の最低点」である理由

インド文化において人類が霊的な高みを歩んでいたのに対し、ペルシャ、エジプトと続く文化の進化の中で、人類は次第に物質界へと「堕落」していったと説明されています。ローマ文化では、人間は自らの個性を物質界にまで深く持ち込み、遺言状のように個人の意志が死後も物質的な事柄に影響を及ぼすほどになりました。これは、精神的なものが物質界に完全に浸透し、人類が物質と完全に一体化した状態を象徴しています。この地点で人類は「進化の分かれ道」に立ち、これ以上堕落するか、再び霊界へと上昇するかの選択を迫られました。この文脈において、物質界への完全な没入と個性の物質化が「進化の最低点」と表現されています。

「キリスト・イエス」の人類の進化における出現の役割

人類が進化の「最低点」に達し、物質界に完全に没入した時、再び霊界へと上昇する道を切り開くための強力な推進力が必要でした。この推進力が、キリスト・イエスが地上に出現したことによって与えられました。神であり霊的な存在であるキリストは、人間の肉体をまとって物質界に物理的に現れました。これは、人間が完全に物質界にいる時に、神が人間のもとに降臨し、人間が霊界への道を見つけられるようにするためでした。キリスト原理の出現により、人類は変容し、再び霊的な高みへと立ち上がる可能性を得たとされています。