エジプトの神話とギリシャ伝説の関係性
古代エジプトの神話や伝説の多くは、外部の歴史的伝承には残されていませんが、霊的科学の世界観にはよく知られています。これらの神話の一部は、ギリシャに伝わり、ギリシャの伝説の大部分(ゼウスとその家族に関するものを除く)の源となりました。現代の文化史がギリシャ神話の価値を軽視しているにもかかわらず、これらの神話は人類の精神的進化を理解するために重要な意味を持っています。これらは単なる物語ではなく、宇宙の事実やオカルト的な真実の「絵」として機能しています。
「カマロカ」と「デバチャン」における死後の意識の状態
人間は死後、まず「カマロカ」と呼ばれる意識状態に入ります。この期間、人は霊的存在になっていますが、生前の欲望や渇望がアストラル体にとどまっているため、肉体的な満足を得られないことに苦しみます。例えば、美食家だった人は、死後も美味しいものを求める欲求を持ち続けますが、それを満たす肉体器官がないため、苦痛を感じます。この状態は、肉体的な欲望から完全に離れるまで続きます。その後、人は「デバチャン」と呼ばれる意識状態に入ります。ここでは、肉体的な印象や世界との直接的な繋がりはなくなり、人はより広範な霊的世界の一部として感じられます。デバチャンでの意識は、この世の自我意識とは異なり、まだ完全な独立性を持っていませんが、宇宙の働きに参加する段階です。
死後の意識は時代と共に変化する
死後の意識、特にデバチャンでの経験は、地球の物理的な変化と同様に、人類の進化とともに変化してきました。太古の時代、アトランティス期には、人間はより霊的世界に生きており、睡眠中も霊的世界を自由に活動していました。この時代には、死と睡眠の区別も現在ほど明確ではありませんでした。しかし、人間が物理的平面に下降し、物質世界に深く関わるようになるにつれて、デバチャンでの意識は次第に曇り、影を帯びるようになりました。特にギリシャ・ラテン期には、物質世界への愛着が強まるにつれて、デバチャン意識は最も暗く影のような状態にまで達しました。これは夢のような意識ではありませんでしたが、その明瞭さは失われました。
古代の神秘主義が死後の意識の「暗闇化」に対処した方法
人間のデバチャン意識が暗くなるにつれて、古代の「神秘主義」は、この意識を再び「照らす」ための重要な役割を担いました。神秘主義を通して、選ばれた人々、すなわち「イニシエート」は、生きていながらにして霊的世界をはっきりと見通す能力を獲得しました。彼らはその経験を神話や伝説として語り伝え、それによって死後のデバチャン意識に光明をもたらしました。もし神秘主義が存在しなかったら、人類は霊的世界との繋がりを完全に失い、精神的な死を迎えていたでしょう。神秘主義は、人間が肉体を持ったまま霊的世界に上昇し、そこで起こることを直接体験する手段を提供しました。ホメロスの『オデュッセイア』におけるアキレスの言葉「地上では乞食の方が、冥界の王よりもましだ」は、イニシエートが霊的世界の「影」の領域で得た直接的な経験を反映しています。
人類の進化におけるキリストの出現の意味
キリストの出現は、人類の進化、特に死後の意識の「暗闇化」に対する決定的な転換点となりました。もしキリストが現れなかったならば、人類は最終的に霊的な死に陥っていたでしょう。キリストの教えや存在を内面に受け入れることは、死後の意識を明るくし、この精神的な運命から人間を救う力となります。キリストは進化の最も低い地点に現れた存在であり、その出現は人類の存在の核に、死後も意識を照らし続ける「宝」を埋め込みました。この「キリスト衝動」は、古代の神秘主義でも予言され、ブッダやヘルメスといった他の偉大な指導者たちにも内在していました。
ブッダの転生に関する「複雑な真実」
輪廻転生の神秘は、一般的に考えられているよりもはるかに複雑です。ブッダの場合、彼は単に以前の人間が再転生したという単純なものではありません。アトランティス時代には、人間の仲間であった「ウォータン」のような霊的存在がいました。地球が物質的に凝縮し、人間の体がより密になるにつれて、これらの神聖な霊的存在は物理的な体を持つことをやめ、目に見えない世界にとどまりました。しかし、彼らは、自身の肉体、エーテル体、アストラル体を浄化し、高次の存在の「器」となることを可能にした人々と繋がりを持つことができました。ブッダは、このウォータンという存在の器となった人物として描かれています。したがって、ブッダの教えの中には、ウォータンの存在が深く影響しており、特に物理的な世界を苦痛の場所と見なし、そこからの解放を強調する点は、アトランティス時代の名残と見ることができます。
プロメテウスの神話やアルゴナウタイの黄金の羊毛探しの伝説の霊学的解釈
これらの神話は、単なる象徴ではなく、具体的な霊的歴史の事実に基づいています。プロメテウスの神話は、人間のエゴの発達、すなわち自己意識的な人間が「地球の岩、地球の肉体に縛り付けられた」状態を象徴しています。人間のエゴの出現によって、アストラル体は「黄金の輝き」を失い、「自我」が利己主義をもたらし、アストラル体を暗くしました。イニシエートは、このエゴの発達が人間の不滅性を蝕む様子を描写するために、この神話を活用しました。
一方、「黄金の羊毛」を探すアルゴナウタイの航海は、古代エジプトの神秘主義における「アストラル体の本来の純粋な黄金の輝きを取り戻す」という目的を象徴しています。これは、エゴの出現以前の、神聖な霊的存在によって照らされていた純粋なアストラル体を取り戻すための試練であり、歴史的な出来事としてだけでなく、イニシエートが内的に体験する霊的な旅としても捉えられています。
キリストがヨルダン川で洗礼を受けた瞬間に起こった起骨格システムの変化
ヨルダン川での洗礼の瞬間、キリストの存在がイエスの肉体に入ったとき、イエスの骨格システムは他の人間とは全く異なるものになりました。人間の骨格の硬化は、独立性の高まりと同時に死の力を増大させました。骨は燃え尽きることが可能であり、人間は自分の骨に対して意識的な力を持っていません。しかし、キリストの存在がイエスの体に宿った瞬間、骨を燃やす力に対する「支配」がその骨格システムに宿ったのです。これは、死に対する優位性、つまり死の克服を地球に移植したことを意味します。この深遠な神秘は、「キリストの骨は一本も折られない」という聖書の言葉にも反映されており、神の力に人間の力が干渉しないことの重要性を示しています。キリストがこの力を持つことで、地球は再び太陽と統合し、神性の懐に帰る可能性を得たのです。