キリストの行為とそれに対抗する霊的力1:ルシファー、アーリマン、アスラ

精神科学の本質と他の世界観との違い

精神科学は単なる哲学や知的好奇心を満たすものではなく、人生における「肯定的で永続的な価値」であり、「現実的で強力な要素」であるとされています。唯物論、一元論、観念論などの他の世界観が知識に基づいているのに対し、精神科学は人間の「存在」そのものに根ざしています。それは人間の魂に現実として流れ込み、その人が自己を成長させ、精神的な能力を獲得するための道を開きます。

人類の進化とルシファー、アーリマン、アスラの役割

人類の進化は、高次の霊的存在によって段階的に導かれてきましたが、同時に、人間の進歩に反対する霊的存在も介入してきました。

  • ルシファーの霊は、レムリア時代に人間のアストラル体(感覚魂)に介入し、人間に自由の可能性を与えましたが、同時に物質的な欲望や情熱、悪に陥る可能性ももたらしました。これに対する高次の霊的存在の対抗策は、病気、苦しみ、痛みといった経験を人間に与えることでした。
  • アーリマンの霊は、アトランティス時代中期以降、人間の知性魂(悟性魂)に作用し、世界を物質的と見なさせ、誤り、幻想、嘘、そして「意識的な罪」に導きました。これに対する高次の霊的存在の対抗策は、人間がカルマを経験し、それを乗り越えることで誤りや悪を償う機会を与えることでした。
  • アスラの霊は、今後訪れる時代に、人間の意識魂と「私」という自我に深く介入するとされています。アスラの力は、ルシファーやアーリマンよりも強力な悪を生み出し、人間の「自我」を地上の物質性と結合させ、自我の一部を不可逆的に失わせる可能性があります。アスラの霊は、精神的なものへの関心を失わせ、人間を動物的な衝動や情熱に導く「理論的唯物論」として現代にその兆候を示しています。

キリストの行為の人類の進化と悪の力に対す影響

キリストは、地球の霊的世界に常に存在し、人間が地球に現れる前から「カルマの可能性」を地上に送り出しました。ゴルゴタの出来事を通して、キリストは地上に現れ、魂から魂への道を見出し、兄弟愛の力を人類に注ぐことを可能にしました。キリストがいなければ、人間はエゴイズムによってますます孤立し、誤りと罪に深く沈んでいったでしょう。キリストは、人間が地上での経験を通じてカルマを適切に形成し、向上する力を与え、誤りと罪から抜け出し、霊界へと向かう「光の導き手」です。

人間が霊界から地上に降りてくる必要性

人間が霊界から地上に降りてきたのは、「霊界を見る視力」を獲得するためです。ルシファーの影響で欲望と情熱に、アーリマンの影響で誤りや幻想に囚われた結果、人間は「霊界を直接見ること」と「霊界の理解」を失いました。地上に降り、自意識を持つ存在となることで、人は再び霊界を光と輝きに満ちたものとして認識し、そこに戻る能力を得ることが可能になります。

キリストの力を認識する方法とそこで達成されるもの

人間は、キリストの力が無意識に作用するのを待つだけでなく、自らの「精神」を通してキリストの真の性質と宇宙との繋がりを「認識」することが求められています。キリストの知恵を吸収し、その本質を理解することで、人間は「自ら」と「ルシファー的存在」を救済することができます。人間がキリストを理解する意志を持つとき、ルシファーの霊はキリスト教の炎の中で清められ、浄化され、悪から祝福へと変わります。これは、キリストが予言した「聖霊」の働きであり、独立した、知恵に満ちた認識の霊です。

精神科学と「聖霊」の関係

精神科学は、キリスト自身が「聖霊」と呼んだインスピレーションと力の実行であるとされています。それは、キリスト教において無意識に留まっていたものを、意識の完全な光へと引き上げる「霊の知恵」です。精神科学は、復活し、善へと変容したルシファーの松明であり、キリストへの道を照らすものです。ルシファーは「光の担い手」であり、キリストは「光」そのものです。精神科学の追求は、真のキリスト教に内在しており、人類がキリストとゴルゴタの出来事を自由で自覚的に理解するための道を一歩一歩導くものとされています。

精神科学が人間の健康や死後の世界に与える影響

精神科学は、人間を「肉体的な遺伝の力」から解放し、病気や苦痛に対する「治療法」として作用し、肉体世界における健康と活力を増進させます。霊的な世界に関心を抱き、精神科学から得られる知恵を魂に注ぎ込むことによってのみ、人は遺伝の力を克服し、外界の障害に打ち勝つことができます。死後、霊的世界を意識的に体験するためには、地上での生において霊と魂を霊的世界に結びつける準備が必要です。この準備なしには、人は死後、暗く陰鬱な世界に入り、霊的な現実を知覚する能力がないまま盲目となるでしょう。

東洋と西洋のオカルティズムと精神科学の関係性

東洋と西洋のオカルティズム、あるいは精神科学の間に対立はなく、「唯一の真理」があるだけだとされています。精神科学は、ブラフマーや仏陀に関する東洋の真理を全面的に肯定し、否定しません。しかし、東洋のオカルティズムが西洋の真理、例えば聖ヨハネがパトモス島で黙示録を受け取ったという記述や、イエスのアストラル体が保存され、キリスト教に献身した様々な人物に組み込まれたという教えを否定する場合には、それに同意しないという立場を取ります。精神科学は、東洋の秘教を尊重し、否定はせず、ただ「さらに先にあるもの」を認めることを妨げないという姿勢です。