ルカとヨハネの福音書の違いとその役割
ヨハネによる福音書は、キリスト・イエスの人格と本質を深く理解しようとするキリスト教神秘主義者にとっての重要なテキストでした。一方、ルカによる福音書は、より広範な人々、特に心にシンプルさと無垢を持つ人々にとっての信仰書として機能しました。ルカによる福音書は悲しみや苦しみに打ちひしがれた人々にとって慰めの源であり、愛と慈悲の力を最も明確に示しているとされ、罪の重荷を感じる人々にも救いをもたらすものでした。ルカによる福音書は、ヨハネによる福音書ほどの「準備」を必要とせず、未熟な心でもその温かさを感じ取ることができるとされています。
ルカによる福音書で羊飼いへ示された天使の告知の真の意味
ルカによる福音書に記されている、羊飼いへの天使の告知は、一般的に「栄光」と訳されることが多いのですが、ルドルフ・シュタイナーはこれを誤訳だと指摘します。正しい翻訳は「高きところから神聖な存在が現れ、善意に満ちた人々の間で地上に平和が訪れるように」というものでした。この告知は、単なる栄光の宣言ではなく、霊的な存在が高みから現れ、善意を持つ人間の心に平和が流れ込むための啓示であったと強調されています。この出来事には、キリスト教の多くの神秘が秘められているとされます。
「アーカーシャ年代記」とルカによる福音書の解釈
「アーカーシャ年代記」とは、透視能力によってアクセスできる、人類と宇宙の進化の歴史を記録した霊的な記録のことです。ルカによる福音書、特に羊飼いへの啓示のような「イメージによる認識」は、このアーカーシャ年代記を解読することによって深く理解できるとされます。この霊的な探求を通じて、羊飼いに現れた「天の軍勢」が、実は仏陀の栄光ある姿であり、その愛と慈悲のメッセージがキリストの時代に再び輝いたことが明らかになります。
ボディーサットヴァ(菩薩)と仏陀になる過程
ボディーサットヴァとは、肉体に宿りながらも、より高次の神霊的な存在と交流し、その教えを人々に伝える使命を負った存在です。人類がまだ論理的思考や道徳的感覚を自力で発展させる能力を持たなかった時代に、彼らは天の高みから愛と慈悲の教えをもたらしました。特定のボディーサットヴァが自身の使命を達成し、人間が自らの力でこれらの能力を発展させる準備が整ったとき、そのボディーサットヴァは「仏陀」となります。これは、彼がもはや物理的な肉体に転生する必要がなくなり、霊的な領域から人類の進化を導く存在となることを意味しています。
ゴータマ・ブッダが「仏陀」になるまでの精神的な旅路
ゴータマ・シッタルダはボディーサットヴァとして生まれ、幼少期から深い透視能力を持ち、人間の低次の情熱や衝動に潜むアストラル界の力を見ることができました。王宮での保護された生活の中で、彼は物理的な苦しみから遠ざけられましたが、霊的な目を通じて人類の堕落した側面を認識しました。この認識が彼を宮殿から出て世界を探求するよう促しました。彼はサンキヤ哲学やヨーガ哲学、さらには禁欲主義を学び、実践しましたが、それらがいずれも人類の進化に真の解決をもたらさないことを悟りました。最終的に、菩提樹の下での7日間の瞑想を通じて、彼は「四諦」と「八正道」という、愛と慈悲の純粋な教えに到達し、仏陀となりました。
仏陀が人類の道徳的感覚の発展において果たした役割
仏陀の使命は、人々がまだ自分たちの心から愛と慈悲を育むことができなかった時代に、その道徳的感覚を人類にもたらすことでした。彼は、人間の傲慢さ、虚栄心、野心といった悪魔(マーラ)の誘惑や、禁欲主義の危険性を自らの経験を通じて示しました。彼の教えは、これらの誘惑を避け、内なる道徳的感覚を清めることの重要性を強調しました。仏陀が菩提樹の下で悟りを開いたとき、愛と慈悲の教えは初めて「人間の能力」として確立され、それ以降、人々は自力でこれらの美徳を発展させることが可能になったとされます。
ゴータマが「仏陀」として人類の進化に関与したもの
ゴータマ・シッタルダが仏陀となった後、彼はもはや物理的な肉体に転生する必要がなくなり、霊的な存在として霊的世界に留まり、そこから人類の事柄に影響を与え、導きました。ルカによる福音書に記されている、羊飼いの前に現れた「天の軍勢」は、まさにこの霊化された仏陀の姿、すなわち長きにわたり人々に愛と慈悲のメッセージをもたらしてきたボディーサットヴァの栄光ある姿であると霊的探求は示唆しています。
ルカによる福音書に登場するシメオンの仏陀との関わり
ルカによる福音書に登場するシメオンは、かつてインドの賢者アシタとして生きていた霊的な存在であると説明されています。アシタは、ボディーサットヴァとしての幼いブッダを訪ね、その偉大な使命を予言しましたた。しかし、彼自身がその幼いボディーサットヴァが仏陀となる日を見ることはできないと嘆き悲しみました。しかし、彼はシメオンとして転生し、エルサレムの神殿で、イエス・キリストの幼児の上に輝く、栄光ある仏陀の光輝く霊的姿を目撃することができました。この体験により、アシタ(シメオン)は以前の悲しみが解消され、平和のうちに死を迎える準備ができたとされています。これは、仏陀の霊的な影響がキリストの誕生と密接に結びついていることを示唆しています。