シュタイナーの人種論における人種差別 − 現代移民問題への考察

GA 54 の何が問題なのか?
- 集団の属性を個人の本質に結びつけていること。 民族的・身体的な特徴から、その人の精神的能力や道徳性まで推定するなら問題であること。
- 歴史的な差異を、固定的な発達段階や上下関係に変えていること。 ある集団を「進歩した側」、別の集団を「遅れた側」として描く場合に問題が生じること。
- 霊的な説明が、現実の差別的な分類を正当化していること。「霊的進化」という用語が使われていることだけでは、その分類の妥当性が保証されないこと。
沈んだ大陸と古代の意識の静かな残響
夜の開けた窓辺で静けさに耳を澄ませていると、時折、風が遠い過去の匂いを運んでくるような気がすることがある。それは古い本をめくるときに立ちのぼる乾いた紙片の匂いにも似ているし、雨が降り始める直前の濡れた土の匂いにも似ている。僕たちがこの世界を見渡すとき、常に拭い去ることのできない直観的な問いに突き当たることになる。なぜ僕たち人間は、根底においては統一されたひとつの本質を共有していながら、これほどまでに多様で、不均等な形態や精神性を携えて存在しているのだろうか。ある人種は僕たちが文化と呼ぶものの頂点に立ち、自然の法則を計算し、機械を操っている。その一方で、別の人種は、少なくとも僕たちの眼から見れば、きわめて原始的で従属的な段階に留まり、文明の表舞台から取り残されているように見える。自然科学的な観察や形態学的な分類、あるいは単なる社会的・感覚的な観察だけを頼りにしていると、この不平等は自然の気まぐれや不条理な公義の欠如のように思えてしまうかもしれない。あるいは、ある魂は最初から恵まれた人種に生まれつき、ある魂は永遠に不遇な階層に縛り付けられているという、重苦しい諦念へと僕たちを追い込むことになる。
しかし、ルドルフ・シュタイナーが提示する精神科学、すなわち神智学の視座に立つとき、僕たちの前にはまったく異なる風景が広がり始める。神智学は、従来の哲学や伝統的な宗教が語るような単一の人間像にとどまらず、「魂の永遠の繰り返し」、すなわち幾度もの転生という視座を僕たちに与えてくれるからだ。僕たちの魂は、過去において多様な人種を巡り、未来においてもまた別の人種へと宿っていく。今日、ヨーロッパ人として存在している魂も、かつては全く異なる古い人種の中に生きていたし、これから先も新たな段階の人種を経験することになるだろう。人種とは魂にとって優劣を判別するための差別的な階級ではなく、いわば魂が成長の過程で一つずつ通過すべき学校の「学年」のようなものなのだ。そして、この壮大な人間進化の足跡を辿るためには、感覚的な考古学の限界を超えて、さらに深い記憶の井戸へと下りていかなければならない。
現代の自然科学は、ダーウィン的な進化論の視点から、人間をかつての不完全な段階や動物界からの進化へと遡り、アジアの南、アフリカの東、オーストラリアへと広がる海洋の底に沈んだ未知の領域へと僕たちの視線を向けさせる。博物学者のエルンスト・ヘッケルが「レムリア」と名付けたその沈んだ大陸に、科学は人間と動物の中間段階、すなわち猿人のような祖先を求めようとした。しかし、精神科学が語る古代の歴史は、化石や骨格といった物理的な残骸のみに依存する自然科学の言説とは一線を画している。
僕たちが静かな部屋で発する言葉の音波が、空気に振動を与え、周囲の壁や家具に微かな物理的影響を与えるように、人間のあらゆる思考、感情、そして意志の衝動は、空気よりも遙かに微細な「アカシャ物質」と呼ばれる霊的な媒質の中に刻印されている。空気の音波は束の間で消え去ってしまうが、アカシャ物質に刻まれた人間の営みの記憶は、膨大な蓄音機の盤面のように、永遠にそこに留まり続ける。このアカシャ年代記を読み解く高次の超感覚的体験だけが、僕たちを真の古代史へと導いてくれるのだ。
アカシャの記憶を紐解いていくと、僕たちの視線はまず、アジアとオーストラリア、アフリカの間に存在したレムリア大陸の荒々しい風景へと向けられる。今日の自然科学はレムリア人を単なる半人半獣の存在と考えがちだが、精神科学の眼が見出すレムリア人は、現代人とはまったく異なる霊的存在だった。彼らはイクチオサウルスやプレシオサウルスといった、哺乳類よりも古く地球に君臨していた巨大な魚竜や首長竜の先祖から進化してきた存在であり、その時代は劇的な火山活動と激しい自然の変動に満ちていた。レムリア人は言語や明確な記憶すら未発達であったが、その意思の力は現代の僕たちには想像もつかないほど強大であった。彼らは自然の力を魔法のように引き出し、植物の成長を直接促し、風や大気に命じることができた。しかし彼らは自らの意志の主人として自律していたというよりは、高次の霊的存在に完全に委ねられ、朦朧とした夢の微睡の中でそれらの奇跡を行っていたのだ。イースター島に残されたモアイ像に代表される巨石建造物(サイクロピアン建築)や、火山活動によって海上に浮かび上がった独特の地形の残骸は、いまや海中に沈んでしまったそのレムリア時代の巨大な意志と太古の魂の記憶を、現代に伝える静かな記念碑に他ならない。
やがて時代が下り、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカの間に横たわり、かつてプラトンがポセイドニス島としてその最後の残照を記憶したアトランティス大陸の時代へと移行すると、人間の意識の質は大きな変容を遂げることになる。アトランティスにおいては、七つの亜人種が順を追って発達していった。アトランティス人は現代の僕たちが持っているような、論理的に概念を組み合わせ、計算を行う知性を持っていなかった。彼らには「九九の足し算」という規則は理解できなかった。その代わりに、彼らは五個の豆の集まりを二つ合わせたときの情景を、全知に近い膨大な「記憶力」によって脳裏に直接思い描くことで物事を認識していた。
アトランティスの歴史において、第三亜人種である「原始トルテック人」の段階に達したとき、人類の歴史において初めて明確な言語が立ち現れ、記憶に基づく文化が形成され始めた。アトランティス人は、僕たちの昼間の明瞭な知性意識と引き換えに失われてしまった一種の透視能力を持ち、風や雲、樹々のざわめきの中に息づく自然の精霊たちと直接対話を交わしていた。彼らにとって精神とは抽象的な理論ではなく、手を空気の中で動かしたとき、あるいは嵐が吹き荒れたときに皮膚で直接感じ取れる、具体的な現実そのものだったのだ。僕たちの遠い祖先が持っていたそれらの茫洋とした夢の意識と魔法的な力は、やがて地球の環境変化とともに、より高密度な物質的肉体の中へと押し込められ、忘却の彼方へと沈んでいくことになる。
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