カテゴリー: 死と再生の間の生命

この世とあの世を行き来する私たち人間の魂の、あの世(霊界)での有り方を説明しています。

  • 死と再生の間の生命の探究 ⑷

    ゴルゴダの秘蹟・キリストの死を理解することの意味


    現代において、人間の魂の本質を理解しようとするのであれば、人間の本性の最も深淵な部分が、今日では自我の認識にまで到達し得ることを理解しなければならないのです。

    このような理解はかつては不可能でした。しかし人間全般において、自我へのこの接近は、最も粗野な形態のエゴイズムとして見受けられるのです。それは様々な程度で現れ、最終的には哲学者の段階に達します。人々が現代哲学を学ぶと、人間の自我について語られることによってのみ、確固たる立場が得られることが分かるのです。

    キリスト教以前の時代、人間は世界についての認識を得ようと試みるとき、外的な現象に目を向けました。言い換えれば、哲学するために自分の外へ出て行ったのです。

    今日、人間は内面、つまり自分自身を見つめて、そこで自我を見出した時にのみ確固たる参照点に出会うのです。このことは、偉大な哲学者であるフィヒテとベルクソンを挙げるだけで十分でしょう。

    二人はいずれも、人間は自我を発見することによってのみ、ある程度の内なる平和を見出すことができるという点で一致しています。その理由は、かつて人類が自らの力によって自我を認識することができなかったことにあるのです。

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  • 死と再生の間の生命の探究 ⑶

    死後の霊界で意識が薄れていく理由


    ヒエラルキーの影響、つまり時の流れの中でもたらされるこの霊的な階層の光もまた徐々に変化していきます。それは、より高次のヒエラルキーの光が入り込むことで、いかに私たちの意識が薄れていくのかを、私たちが少しずつ経験するような形で変化していくのです。

    そして、この状況において私たちの意識が保たれるかどうかは、死ぬ前に起こった特定の出来事にかかっていることに気づいていくのです。

    例えば、不道徳な魂の性質を持つ人の意識はより容易に薄れてしまいます。したがって、道徳的な強さを持って死の境界を越えることが極めて重要なことなのです。

    なぜなら、道徳的な意識は、私たちの魂を高次の霊的階層の光に開かれたままにしてくれるからです。道徳的な感情を持つ人と不道徳な魂の性質を持つ人との死後の状態を調べてみると、道徳的な魂の性質を持つ人は死後も澄み切った輝かしい意識を保つことができるのに対し、不道徳な魂の性質を持つ人は一種の薄暗い、薄明かりのような意識に沈んでしまうことが分かるのです。

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  • 死と再生の間の生命の探究 ⑵

    2,111語、読了時間11分。

    あの世で出会う旧知の人々に感じること


    私たちがイニシエーションに近づくにつれ、つまり霊界に参入するにつれて、私たちの魂は死と次の転生までの間にある期間と同じ経験をすることになります。そして、このことにおいて次のような疑問が生じるのです。

    イニシエーションを通して、または事故などのショックによって、エーテル体が離脱した結果として見出すことができるその幻視の世界と、死ぬことによって次の転生までを生きる霊界の領域との間には、どのような関係があるのでしょうか?

    死における次の転生までの間の期間に目を向けると、そして、そこからカマロカ(煉獄)の期間を除くとすれば、そこはイニシエーションを通して生きる世界に匹敵する客観的な世界であることが示されるのです。しかし、これは私たちが死後すぐに現実の世界に生きていないということを示すものではないのです。

    私たちは死後んだ後も、完全に現実の世界に生きています。私たちはそこで地上で繋がっていた人々と共に生きているのであり、その繋がりはまさに現実のものなのです。そして私たちが地上で感覚を通して知覚を受け取っていたのと同じように、私たちは死後も幻視を通して知覚を受け取るのです。

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  • 死と再生の間の生命の探究 ⑴

    2,025語、読了時間11分。


    この世の私たち人間にとっての死と、さらに死んだ後の次の転生までの間の生命の有り方を知るためには、まず、霊的な知識の獲得が必要であり、そしてその知識を得る前段階として、予備的ないくつかの概念を知ることが重要なのです。

    透視に必要な条件


    私たちが霊的知識を獲得するためには、魂の特別な性質が必要であり、これは、この世の日常生活における通常の魂の性質とは根本的に異なるものです。

    この世の外界の生活、特に現代における日常生活では人間の魂は絶えず不安な状態に置かれています。私たちの魂は一日中絶えず新たな印象にさらされていて、それらの印象と自分自身を同一視するために、常に不安な状態にあるのです。

    私たちが意識的に霊界に参入しようとするのであれば、つまり意識的に霊的世界を透視しようとするのであれば、この日常の魂のあり方とは正反対のことが起こらなければならないのです。

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