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  • 死と再生の間の生命の探究 ⑷

    ゴルゴダの秘蹟・キリストの死を理解することの意味


    現代において、人間の魂の本質を理解しようとするのであれば、人間の本性の最も深淵な部分が、今日では自我の認識にまで到達し得ることを理解しなければならないのです。

    このような理解はかつては不可能でした。しかし人間全般において、自我へのこの接近は、最も粗野な形態のエゴイズムとして見受けられるのです。それは様々な程度で現れ、最終的には哲学者の段階に達します。人々が現代哲学を学ぶと、人間の自我について語られることによってのみ、確固たる立場が得られることが分かるのです。

    キリスト教以前の時代、人間は世界についての認識を得ようと試みるとき、外的な現象に目を向けました。言い換えれば、哲学するために自分の外へ出て行ったのです。

    今日、人間は内面、つまり自分自身を見つめて、そこで自我を見出した時にのみ確固たる参照点に出会うのです。このことは、偉大な哲学者であるフィヒテとベルクソンを挙げるだけで十分でしょう。

    二人はいずれも、人間は自我を発見することによってのみ、ある程度の内なる平和を見出すことができるという点で一致しています。その理由は、かつて人類が自らの力によって自我を認識することができなかったことにあるのです。

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